February, 2011
     

  「ぬくもり」NUKUMORI  
 
 
 

先月、雪の京都へ行って参りました。
直観に導かれての旅でした。

錦小路の町屋カフェ「京庵」へ行き、そこで出会うべく人々と出会い、その夜は京都の左京区松ヶ崎にある友人の家に泊めて頂きました。
こんなに寒い時によう来てくれたわ・・と言われたのですが、久々の冬の京都。底冷えを体感。身体が芯から冷えて来ます。
翌朝は神社にお参りしてから雪の宝ヶ池を一周、ウォ-キング。
池は凍っていて、それでも鴨と白鳥が迎えてくれました。

そして、詩仙堂へ。
雪がまだ残る詩仙堂は静寂で美しく・・
入り口からすべて開け放たれているので、お座敷もどこもかも外気のまま冷え込んでいました。
その寒い寒い縁側で、雪の庭、石庭を眺めながらしばし「禅」の時を過ごしました。
目を閉じたまま静寂の中にただ在る。
鹿猪しのカ-ンと響く音。
大雪で浄化された冷たい空気が呼気とともに身体にみなぎり、精神を引き締めるような心地よささえありました。

 
      
  ただ、ただ感謝。
祈り始めたその時、まるでその祈りに応えて頂いたかのようにあたたかい太陽の光が私を包み込みました。
寒さの中にいるからこそ感じたぬくもり。
それそのものが神からの癒し、メッセ-ジのような気がしました。

寒さの中にいた私にぬくもりを。
そして、人生はすべてそのようなことなのだ・・と。

そう言えば、この同じ大雪の日。私の母は一人で長野の松本まで旅をしていました。
大学生の孫の「合唱」を聴くために一人で電車とバスを乗り継いでの旅。
夕暮れた雪の帰り道、バスはなく、タクシ-もなく、母が途方にくれていると、車に乗った女性が声をかけて下さって、駅まで送り、母が切符を買って改札に入るまで見送って下さったそうです。母は人のやさしさ、ありがたさが身に沁みたと話していました。
寒くて凍えそうな時、一人で心細い時、そんな時に助けて頂いた。
大変な大雪のおかげで、松本の方のやさしさに触れることができたのでした。

すべてこの世のものには「陰・陽」がある。
闇があるから光があるように。
すべてのものに「二極」があります。
でも、どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではない。
また、どちらかが善くてどちらかが悪いわけでもない。
「ぬくもり」は寒さがあってこそ「ぬくもり」と感じる。
そのぬくもりを感じることができた時、私たちは「幸せ」と呼ぶのでしょう。

「寒さ」の時も実はありがたいのですね。

まだまだ寒い日が続きます。
インフルエンザや風邪も流行っていますね。

私はチベット体操をしているおかげで長らく、風邪にもインフルエンザにも感染していません。
また、最初から心配もしていない。
肉体・心・魂のバランスを崩すと病気になる。
だから、病気はその警告であり、メッセ-ジ。
さあ、休んでください。
さあ、いたわってあげてください。
さあ、緩めてください。

自分を省みるためのメッセンジャ-ですね。

寒中お見舞い申し上げます。
みなさん、チベット体操を続けましょう。

   
  2011年2月    梶本恵美