November, 2011
     

  「掌」TANAGOKORO  
 
 
 

 11月になりました。
 本当に早いですね・・・。
 2011年もあと二月です。

 先月、京都教室の翌日、銀閣寺を参拝しました。
 京都教室の時は、余裕があれば、お寺か神社を一つ訪れることにしています。
 銀閣寺は今から二十数年前に訪れて以来です。
 その頃、ちょうど東京の家の隣に越して来たフランス人家族を京都に案内しました。
 金閣寺、銀閣寺ともに案内したのですが、フランス人の友人は銀閣寺が気に入ったのです。「わびさび」の分かる人であることに驚いたものです。

 今回、銀閣寺を参拝して感じたこと。
 私の側が変わったのか、あるいは、銀閣寺自体のエネルギ-、波動が変わったのか?・・・。いや、きっとその両方かも知れませんね。
 銀閣寺の境内に立った時、手入れされたそのお庭の緑、波紋を表現した銀沙灘と白砂の向月台・・その場の深いエネルギ-に心身、魂ともに包まれた感じがしました。
 ただ、ただ、その一帯が光り輝いていて、その光の中に私たちがいた・・。
 何かが解けて行くような・・不思議な不思議な感覚でした。

 そのあと、京都教室を一緒にやって下さっている留美さんと二人、哲学の道を歩き、途中のお地蔵様も拝み、緑に囲まれたカフェでお茶をして・・穏やかな時間を過ごしました。幸せなひとときに感謝。

 最近、こうして「今」この時に「在る」ことに感謝する日々です。
 そんな中で、ふと、今日、伝えたいと思ったこと。

 「たなごころ」という言葉を知っていますか?

 漢字で書くと「合掌」の「掌」という字です。
 「手」を「た」とも読みます。「手折る」(たおる)「手向ける」(たむける)と言いますね。そして、「な」は「連体助詞」の「の」の意味がある。
 つまり、手のこころ。そして心には「中心」の意味があり、「裏」の意味もある。
 手のひらの内側、裏をたなごころと言います。

 祈る時、たなごころとたなごころを合わせますね。
 たなごころとたなごころを合わせると何かにつながって行く感じがしませんか?

 今日、仕事部屋で静かに手を合わせ、目をつむって祈りました。
 そうすると、とても不思議な感覚に包まれたのです。
 あたたかい愛に包まれている、光に包まれているような・・
 あるいは、「私」という個体がなくなってしまったような・・
 「至福」の感覚に入りました。

 チベット体操をする前にいつも手を合わせます。
 何に向かって祈っているのか、何を祈っているのか・・
 特別なものではないのですが・・「感謝」でしょうか。
 そうしてチベット体操を始めます。

 私たちは今日も生かされている。
 何か辛いことや悩み事を抱えていたとしても、私たちはこの「今」という瞬間、ただ、生かされている。

 カンボジアを支援するための準備の旅に出かけた時、行く先々で、人々が手と手を合わせて拝んで下さいました。(その方たちは私たちがどういう団体であるかはご存じないのです)
 見ず知らずの私たちに出会った時・・そうやって手を合わせて下さった。
 きっと、相手の中に「仏性」を見る・・。だから手を合わされるのでしょうね。
 言葉は通じなくても、とてもあたたかいものが伝わって来て、そしてこちらからもそのあたたかいものが溢れて来たのを覚えています。

 今年もあと二カ月です。
 どうか、一日のうちにどこかでたなごころとたなごころを合わせて目をつむり
 静かに祈る時間を持ってみてください。
 ただ、感謝するだけでもいいし、何も考えなくてもいい。
 ただ、静かに
 手と手を合わせ、目をつむる。

 静かな「今」が、あなたを癒し、また、揺るぎない自分に育てて行ってくれると思います。

 11月、この紅葉の美しい季節があなたに「愛」と「美」を運んでくれますように。

 合掌。


 
  2011年11月   梶本恵美