3月になりました。 |
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そこは、働き口のない村の女性たちのために作られた工房です。 カンボジアは本当にまだまだ貧しく、仕事がないために、タイまで出稼ぎ(人身売買が多い)に行かなくてはならなかったり、女性や子どもたちの置かれている状況はとても厳しい。そんな中で、彼女たちに技術を教え、働く場所を提供しているのです。 そこで、若い女性に質問をしました。 「どんな時が幸せですか?」 「家族が一緒にいて諍いのない時」 「此処で働くことが出来て、何がよかったですか?」 「仕事があること自体がありがたい」と答えました。 日本人の女の子たちは、予想もしなかった答えに驚いていました。 私たちは、こうして、現地に行くことによって、学んだり、気づかせてもらったりしている。ありがたいことです。 カンボジアでは家族が一緒にいることをとても大切にしている。 お金も確かに必要だけど、貧しくても家族が一緒にいられることを望む。 また、物質的に何でも手に入っている私たちの社会では見えない「豊さ」や「大切なもの」に気づかされる。自分たちがどれだけ恵まれているかも知る。 日本の子どもたちももっと、こうした国に実際に行ってみるといいなと思います。 幼い子どもたちが働かされています。学校に行きたくても行けない子どもがほとんどです。工房の中に少し本がありました。休憩時間に、その本を手にとって一生懸命読んでいる女の子がいました。勉強したいんだと思います。 視察の翌日は、「クルサ-・リッリエイ」の子どもたちと一緒にアンコ-ルワットや周辺の寺院を訪れたり・・。その時に、私はある忘れられない場面に出くわしました。 そこは日本人、中国人観光客の多いシェムリアップです。 私たちがある寺院を訪ねて、子どもたちと一緒に歩いていた時のことです。 向こうの方に音楽を奏でる人たちがひとかたまりになって座っていた。 孤児院の女の子の一人が「あれは、祝婚歌なの」と教えてくれました。 通り過ぎかけて気づいたのは、演奏している方々が皆、地雷で脚を失ったり障害を持った人々だったこと。私は少し行きかけてから、やはり、寄付したいと思い踵を返しました。すると、私の前を、一人の女の子が駆け戻って、自分のバッグからお金を取り出し、その方たちに手を合わせて、布施していた。その子は十七歳の女の子。いつも、陽気でふざけてばかりいるソクッティという子。 おこずかいなんて、きっとほとんど持っていないと思う。それでも、そうして布施する心を持っている。素晴らしいと思いました。 観光客の誰もが知らん顔で通り過ぎる中、その子はちゃんと慈悲の心を持っていた。 このような経験は、フィリピンでもしたことがありました。本当に少ない中から誰かのために何かをしようとする。欲がなく、思いやりがある。 悲しい思い、寂しい思い、辛い思いをすると、人はやさしくなる。 「艱難汝を珠にす」という言葉がありますね。 本当にその通りだと思います。 私たちはこうして、フィリピンやカンボジアの孤児院の支援をさせて頂きながら、子どもたちから「愛する」ということや「やさしさ」や「慈しみ」や「本当の豊さ」、たくさんのことを学ばせてもらっています。 今回のカンボジアの旅で一番強く思ったこと。 「愛する」ということの中に「信じる」ということが含まれる。 子どもたちは愛され、信じることが出来て、そして希望を持った。 大きな子に尋ねると、皆、具体的に夢や目標を持っていた。そしてそれに向かってちゃんと努力していた。 本当に愛されて、信じることが出来た時、人は強くなり、自分の夢を信じて、自分を信じて生きて行ける。 「愛する」ことは「信じる」こと。 人間って素晴らしいですね。 これからもチベット体操の愛の輪を広げて行きます。 自分を愛すること、信じることを伝えて行きたい。 そうして初めて、その愛の輪が周りに広がって行く。 チベット体操をして、ハ-トのチャクラを開き・・愛全開。 あたたかな、素晴らしい春が皆様に訪れますように。 合掌 ありがとうございます。 |
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2012年3月 | 梶本恵美 |