「出逢い」DEAI  
     
 

紅葉の美しい季節を迎えました。

 みなさま、いかがお過ごしですか?


 私は夏にさまざまな出来事を体験し、秋はその名残で駆け抜けて来ました。

 そうして、ふと立ち止まると、今年も早あと二カ月。

 そろそろ2012年しめくくりの時を迎え始めています。


 娘のサヨコはこの秋、嫁ぎました。

 嫁ぐ前は友達のような、姉妹のような感覚でやって来ましたが、不思議なことに彼女が嫁いだあとは、私は「母親」としての心が強くなっていることに気付きました。

 また、この春、息子のところに出来たかわいい孫には、自分の子供の時には感じたことのない、やわらかな深い思いが湧いて来ることも体験しています。

 家族とは不思議ですね。

 広がったり、小さくなったり・・また広がったり。


 先日、寒くなり始めたある日曜日のこと。

 私が地元の駅に向かって公園の階段を降りて行こうとした時、「もう乗った?・・ジャンパ-忘れてたから、ママ、今、駆けてる」と、携帯で話しながら階段を小走りで駆け下りてて行くママさんの姿。息子さんにかけてるのか?それともパパにかけてるのか?・・。駅まで大急ぎで子供のジャンパ-を届ける様子でした。

 私は何だかあったかいものを感じていました。何でもない光景かも知れないけど、冷え込んで来た日に子供のことを思って駆けている明るい母。

 その家族の様子、家庭のあたたかさが感じられました。

 その後、私がホ-ムに立った時のこと。今度は半袖の男の子がホ-ムを駆けて行く姿。寒々とした姿にその子は背中に有名受験塾の鞄を背負っています。日曜も塾があるのでしょう。半袖なのは、きっと母親がその子を鍛えるためにそうさせているのかも知れない。

 家庭はさまざま。親が子を思う気持ちをどのように表現するか、その形、色はさまざまです。どれがよくて、どれが悪いということはないように思います。

 ただ、あらためて思ったのは・・「家族」とは私たちが「愛する」ことを学ぶ、「愛する」という体験をする為にある。

 夫婦だったり、親子だったり、兄弟だったり・・。それぞれの魂が今回、今世の縁の中で「愛し合う」という体験をするために出遇わされている。


 
 

 親は、たとえ親となっても、決して子供より魂が上等なわけでもない。

 ある人が言いました。

 「子供の魂の方が親より進化して生まれて来る」と。

 なるほど・・・。私は我が家の子供たちを見てもそう思うし、周りを見てもそう思う。

 だから、子育てしながら私は育てられて来た。教えられて来た。

 今、私の親も年老いて来て、私と親の関係の中にもそれは感じる。


 私たちは縁があって親子となりました。


 あなたが、もう既に親であるなら

 子供は、あなたたち夫婦のもとを選んで生まれて来てくれたことを思い出してほしい。


 そして、あなたがまだ親になっていないとすれば

 あなたは両親を選んで生まれてきたこと。

 そのことを受け入れてほしい。


 どちらにも大切な意味があり、「有り難い」こと。

 私たち魂が出遇い、絆を結ぶことは「有り難い」こと。


 ご存じの方もたくさんいらっしゃるでしょう。

 「ありがたい」とは「有り難い」こと。


 さらに、家族だけでなく、私たちは今、この時、この日本を選んで生まれて来た。

 そして、あらゆるところで出逢いと別れを繰り返して行く。

 学び終わって別れて行く魂の絆もあり、今世での約束を果たして離れて行く魂もある。 けれど、その別れは決して永遠のものではない。

 なぜなら、私たちはいずれ、同じ「一つの光」となって行くのですから。


 「袖振り合うも他生の縁」と言います。

 そう、私たちは、たとえ通りすがるだけであっても、実は「ご縁」がある。

 なおさら、今、自分の周辺にいる人々、出逢う人々との間には何か意味があって関わっている。それもまた「有り難い」こと。

 いつも人生は「一期一会」。

 この「今の一瞬」に在る。


 そんな中で、家族は長い時間を共にする人(魂)たち。

 一緒に生きている、出逢っているその意味は深いはず。


 愛するということ。


 いつか、ドラマの最終話で書いたことがあります。

 「愛は感じるものでも、学ぶものでもない。

  ただ、目の前にあるものを『愛する』・・こと」


 今月は「愛する」を実践しましょう。

 2012年のしめくくりに向けて・・

 目の前にあるものを「愛する」こと。


 読んで下さってありがとうございます。


 美しい紅葉のこの季節に

 いつも愛と感謝をこめて


 梶本 恵美