201402
     

  「選択する」  
 





 みなさま、こんにちは。
 二月になりました。
 まだまだ寒さ厳しい時ですが
 毎日、チベット体操で芯から暖かくおられることと存じます。

 今朝、夢に随分前に亡くなった友人が現れました。
 その人は「ノエル」というあだ名がついていました。
 そんな呼び名がまさしく似つかわしいような方でした。
 夢の中、
 その友人が誰かにナイフで傷つけられ重傷だという知らせがあり
 私はその人のもとに向かいました。
 病院の霊安室に行って下さいと言われ、
 なぜ生きているのにそんなところへ
 行かなくてはならないのだろう?・・。
 少し怖い思いもありながら向かいました。
 すると、結局は「愛の人たち」の建物へと通され、
 その人と逢うことが出来ました。
 大変な傷は負っておられたのですが、
 その人は穏やかで愛そのものでした。
 その方と懐かしい、
 そして愛の波動に包まれる再会の時を過ごしました。
 きっと、
 眠っている間に何処か別の次元の世界へ行っていたのだと思います。

 そして、目が覚めて・・
 後藤さんが殺害されたということを知りました。

 後藤さんの冥福を心よりお祈りいたします。
 後藤さんの魂が愛と光に包まれ、天へと導かれますように。
 今はまだ、故郷や愛する人々の周りを
 離れがたく訪れていらっしゃる頃かも知れません・・・。

 このような出来事が起きたこと。
 この現実から私たちは何を感じ、気づいて行くのか。
 後藤さんが私たちに伝えたかったことは何だったのか・・。
 現実をそのままありのままに受け入れ、
 深く見つめたいと思います。
 みなさんもそれぞれ、さまざまな感じ方、
 気づき方をしておられることと思います。
 
 もう既にご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
 ここでブッダの「慈悲の瞑想」をご紹介します。
 この瞑想はこの言葉を心の中で唱える、
 もしくは声に出して唱えること。
 それが瞑想となります。

  わたしが幸せでありますように
  わたしの悩み苦しみがなくなりますように
  わたしの願いごとが叶えられますように
  わたしに悟りの光が現れますように

  わたしが幸せでありますように
  わたしが幸せでありますように
  わたしが幸せでありますように

  わたしの親しき人々が幸せでありますように
  わたしの親しき人々の悩み苦しみがなくなりますように
  わたしの親しき人々の願いごとが叶えられますように
  わたしの親しき人々にも悟りの光が現れますように

  わたしの親しき人々が幸せでありますように
  わたしの親しき人々が幸せでありますように
  わたしの親しき人々が幸せでありますように

  生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
  生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
  生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

  生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものが幸せでありますように

  わたしの嫌いな人々も幸せでありますように
  わたしの嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
  わたしの嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
  わたしの嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

  わたしを嫌っている人々も幸せでありますように
  わたしを嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
  わたしを嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
  わたしを嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

  生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものが幸せでありますように
  生きとし生けるものが幸せでありますように


 チベット体操教室でも以前は時々、みなさんにご紹介しました。
 「わたしが幸せでありますように」と最初に唱えていいこと。
 そのことに驚かれた生徒さんもいらっしゃいました。
 「わたしが幸せで・・を一番に言っていいんだ・・」と。
 また、自分が嫌いな人々、または自分を嫌っている人々の幸せを
 祈る、唱えることで自然に涙する方々もいらっしゃいました。

 憎しみに憎しみを重ねてはならない。
 憎悪に憎悪で返して行けば、それはやがて復讐の連鎖となる。

 数年前、とても不思議な経緯で私の手元に届いた一冊の本。
 「もう殺さない」バジリコ刊(副題『ブッダとテロリスト』)
 この本を手にとって、読み始め・・
 これは舞台に出来る。舞台にしたい・・と
 強いインスピレ-ションを受けました。
 その思いをこの本を送ってくれた友人にメ-ルで打つと、
 その二時間後には
 「サテッシュが是非、舞台にしてほしいと言ってます」という返事。
 驚きました。
 友人は、ロンドン近郊にある、サティッシュ・クマ-ルさんの
 「シュ-マッハ・カレッジ」に短期留学中だった。
 私のメ-ルを受け取った時、
 ちょうどサティッシュさんがいらっしゃった。
 そして、
 ミラクルな速さで原作者の承諾を受けることが出来たのでした。

 この本は、
 サティッシュさんがニュ-ヨ-クで9・11を体験され
 その時に「今こそ、このブッダの教えを伝えなくては・・」と
 ある説話を物語に書かれたのでした。

 殺人鬼のアングリマ-ラは呪術者から
 「100人の人間を殺し、その指10本を切り取り、
 それで首飾りを作れ。その首飾りを身につけた時、
 おまえは最強の力を手に入れることが出来る」と信じ込まされた。
 そして、その通りに、人々を無差別に殺害して行ったのです。
 そのアングリマ-ラがある時、ブッダと出逢い、
 ブッダを殺そうとしたのですが・・。(略します)
 彼はブッダの弟子となり
 名をアヒムサ-カと命名され、修行に励みました。
 まるで別人のように生まれ変わったアヒムサ-カでしたが、
 自分が殺した人々の遺族たちから
 「アングリマ-ラ」であったことを見抜かれ、告発され、
 やがて国王の前で国の裁判にかけられます。
 アングリマ-ラに殺された者たちの遺族が次々に現れ、
 彼を糾弾します。
 アヒムサ-カ自身も自分の罪は赦されないものだと覚悟しています。
 最後に現れたのが、
 アングリマ-ラに惨殺された詩人の妻、スジャ-タでした。
 詩人は「愛の詩」を歌う素晴らしい詩人で
 国民から深く愛されていました。
 乳飲み子を抱えたスジャ-タはアヒムサ-カの前に立ちます。
 群衆は、
 さあ、この者こそ、一番の被害者、
 アングリマ-ラはもう絶対に赦されない
 と固唾をのんでスジャ-タの言葉を待ちます。
 (後略)

 憎しみに憎しみを重ねても何も変わらない。

 アングリマ-ラがなぜ殺人鬼になったのか?
 呪術者に「悪」を吹き込まれる前に、
 彼は不可触民として差別され虐げられて来た。
 アングリマ-ラは「怒り」と「憎悪」のかたまりだったのです。

 スジャ-タは群衆の前、王の前で涙を流しながら話します。
 ここでアヒムサ-カ(アングリマ-ラ)を処刑しても
 自分の夫は帰って来ない。
 私の夫は愛の詩を歌う人だった。
 今、夫は何を望んでいるだろうか?・・

 スジャ-タはアヒムサ-カを赦しました。

 私はこの原作から朗読劇の脚本を書きました。
 そして・・舞台の最後にブッダがアングリマ-ラの頭に手を載せ
 「慈悲の瞑想」を唱えます。

 当時、訪日中だった原作者のサティッシュ・クマ-ルさんは、
 芝居を観に来て下さいました。
 そして、涙を流されながら・・私に
 「出来るだけ多くの方に観てもらって下さい。再演して下さい」
 とおっしゃいました。
 私も是非、再演したい。
 そう思いながらも時だけが過ぎて行きました。
 今こそ、このメッセ-ジを多くの方々に伝えたいと思いました。
 きっと、ロンドン在住のサティッシュ・クマ-ルさんも
 同じ思いでいらっしゃることでしょう。

 私がみなさまにお伝えしたいこと。
 それは、今回のような出来事が起きた時に
 ありのままを受け入れる。
 そして、深く見つめる。
 恐怖や怒り、憎悪の方に意識を向けないでほしいのです。

 もっとも愛が足りないもの、愛を必要としているものは誰なのか?
 怒りのもとは何なのか?

 私たち一人一人はどうすればいいのか?

 今月はみなさまにこの「慈悲の瞑想」をご紹介し、
 出来れば、チベット体操を行うのと同じに
 毎日、唱えて頂けたらありがたいです。

 私は体操の時に唱えることもあります。
 また、歩いている時や、何かを待っている時などにも。
 自分の考えがマイナスの方向へ向かいそうな時などにも。

 どうぞ、平和への祈りとして
 今月は体操とこの慈悲の瞑想を行ってみてくださいませ。

 あなたから周りへ
 あたたかく
 穏やかな
 美しいエネルギ-が伝わって行くと思います。

 長い文章となってしまいました。
 ここまで読んで頂いてありがとうございます。
 「もう殺さない」もよかったら読んでみてくださいませ。

 

 愛と感謝をこめて

2015年2月 梶本 恵美